アーセナルの移籍ランキング10!ベルカンプ、アンリ、サンチェス

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今回は、昨日イギリス「football london」にて、「アーセナルの移籍ランキング10!ベルカンプ、アンリ、サンチェス」なるレポートが上がっていたので、そちらをご紹介します!

 

はじめに

 

今夏の移籍市場でアーセナルはいくつかの良いサインをした。中でもマンチェスターCから加入したガブリエル・ジェズスとオレクサンドル・ジンチェンコはすでに間違いないサインだったことを証明している。

全てのクラブと同じように、アーセナルは過去の移籍市場で良いサインと悪いサインをしてきた。その中でも誰が優秀だっただろうか?

今回は過去30年の移籍市場で獲得してきた選手の中で成功例のトップ10を紹介する。自分だったら誰を選ぶか考えてみて欲しい。

 

 

フレディ・ユングベリ

 

元スウェーデン代表のユングベリはアーセナルで9年間を過ごした。彼はアーセナルが1年以上スカウティングを継続した後、ハルムスタードから300万ポンドでアーセナルへ加入した。

このウインガーはデビュー戦でゴールを決めた後、アーセナルでの通算で372試合72ゴール37アシストを記録した。

彼は2度のプレミアリーグタイトル、3つのFAカップタイトル、CL決勝進出において、不可欠な役割を果たした。彼がアーセナルで最も好成績を収めたのは2004-05シーズンで、ゴールとアシストの両方2桁の数字を記録した。

 

 

デニス・ベルカンプ

 

アーセナルは1995年にインテル・ミラノからベルカンプを獲得するために、当時の移籍レコードを破った。

このオランダ人は11年もの間、ノースロンドンに在籍し、その間に416試合に出場した。彼は115ゴールと95アシストを記録し、3つのプレミアリーグタイトルと4つのFAカップタイトルを獲得した。

ただ、驚いたことに彼はPFAチームオブ・ザ・イヤーに選出されたのは1度だけだった。

 

 

ティエリ・アンリ

 

恐らくアーセナル史上最高の選手であるティエリ・アンリがこのリストに含まれないことはないだろう。このフランス人はインビンシブルスを達成したアーセナルの象徴だった。

ヴェンゲル氏がユベントスから1100万ポンドで彼とサインした時、多くの人が眉を潜めたが、結果的にこの金額はお得だった。彼はPLに慣れるための時間を必要とせず、イギリスのトップフライトでいきなり17ゴールを記録した。

17ゴールという数字はPLでプレーする選手にとって非常に良い数字だが、アンリにとっては所属した8シーズンの中で2番目に低い数字だった。インビンシブルスとなった2003−04シーズンで30ゴールを記録した他、その前のシーズンでは37試合で49ゴールに関与した。まさにレジェンド。

 

 

ロビン・ファン・ペルシ

 

ファン・ペルシがアーセナルのライバルクラブに移籍したことを未だに根に持っている人はかなりいると思われるが、彼がクラブに在籍した間の貢献は否定することはできない。

ヴェンゲル氏は2004年に21歳で加入した彼をFWとして育成したが、結果的に成功だった。彼はレフトWGとしてアーセナルにやってきたが、ヴェンゲル氏は彼をマルチストライカーにコンバートさせた。

加入後の彼はほとんどの時期で控えからの出場だったが、アンリが退団してからはスターターとなった。

最終的にアーセナル時代に彼は278試合に出場132ゴールを記録し、エミレーツ・スタジアムの最後のシーズンは全体会で37ゴールを記録した。だが、彼は2012年にマンチェスターUへ加入し、アーセナル戦に6試合出場して3ゴールを決めた。

 

 

アレクシス・サンチェス

 

このリストの中で最も新しいラインナップになったのがアレクシス・サンチェス。彼は2014年にアーセナルへ加入した。

彼は期待を裏切らず、アーセナルに在籍した4シーズンのうち、3シーズンで13ゴール以上を記録した。そして、彼は在籍時に2つのFAカップタイトル獲得に貢献した立役者でもある。

サンチェスは加入した最初のシーズンで24ゴールに関与した後、2016−17シーズンはリーグで24ゴールと11アシストを記録した。このシーズンで爆発的な活躍を見せたサンチェスだったが、アーセナルでの最後のシーズンは怪我の影響もあり、満足した活躍を見せられなかった。

その後、ファン・ペルシと同様にマンチェスターUへ去っていった。

 

 

ソル・キャンベル

 

サンチェスのマンチェスターU移籍は物議を醸したが、2001年にキャンベルがトッテナムからやってきた際は特に何もなかった。

しかし、キャンベルは在籍中にトニー・アダムス、マーティン・キーオン、コロ・トゥーレらとパートナーシップを築き、コロ・トゥーレに関してはインビンシブルスのシーズンを共にした。

彼はアーセナルに在籍した間、2年連続でPFAチームオブ・ザ・イヤーとなった。彼はアーセナルで211試合に出場し、12ゴールを記録したが、その中の1ゴールはCL決勝のバルセロナ戦を含む。

 

 

パトリック・ヴィエラ

 

アーセナルは1996年に350万ポンドの移籍金でパトリック・ヴィエラを獲得した。彼はアーセン・ヴェンゲル氏が獲得した最初の選手で、彼が加入した理由はフランス人指揮官と共にプレーするためだった。

現在、クリスタル・パレスの監督となったヴィエラは、アーセナルでの9年間で400試合に出場した。彼は2002年にアーセナルのキャプテンに就任し、その役割を全うした。

ヴィエラはインビンシブルスのシーズンでもアーセナルのリーダーで看板選手だったが、2005年に約1350万ポンドでユベントスへ移籍した。

 

 

ニコラ・アネルカ

 

彼はプレミアリーグで輝かしい成績を残してったが、その始まりはアーセナルからだった。アーセナルはわずか50万ポンドで彼と契約し、ヴェンゲル氏はこの選手の大ファンだった。

最初のシーズンに26試合出場6ゴール6アシストを記録し、その年にPLタイトルとFAカップタイトルを獲得したチームの重要なメンバーだった。

そして、次のシーズンで17ゴールを決めた後、彼はPFAヤングプレーヤーを獲得した。しかし、移籍が囁かれるようになった後はプレーが悪くなっていき、最終的に獲得時の2200万ポンド多い金額でレアル・マドリーに売却された。

 

 

セスク・ファブレガス

 

16歳でアーセナルへ加入したセスクはアーセナルが若い選手にチャンスを与えるクラブとして有名になった一因。彼の素質は明らかだったので、16歳と177日で当時のアーセナル最年少でデビューした。

ファブレガスは2005年にヴィエラが去った後、ファーストチームのレギュラーとしてプレーするようになり、その後クラブキャプテンに就任し、またたく間にワールドクラスの選手へと成長していった。

彼はアーセナルで300試合以上でプレーし、プレミアリーグの歴史の中で彼よりも多くアシストを記録したのはライアン・ギグスだけである。

 

 

イェンス・レーマン

 

デイビッド・シーマンが去った後に空いたGKの座を埋めるには特別な選手が必要だったが、レーマンはその仕事を掴んだ。2003年に加入した後、ファーストシーズンは36試合でわずか26失点しか与えなかった。

レーマンはアーセナルで200試合に出場し、168ゴールしか与えず、80試合のクリーンシートを記録した。

ドイツ出身の彼は2005年のFAカップ決勝戦のPK戦でポール・スコールズからのPKを止めた後、2005−06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ最優秀GKに選出された。

 

 

 

いかがだったでしょうか??

まあまあ納得の人選ではないかと。ここ数シーズンはPLタイトルを手にしていない&優勝に近づけていないので最近の選手は選ばれていないですが、今シーズンを皮切りに、今後のアーセナル史に残る選手が出てきて欲しいところです!!!

 

 

元記事はこちら→Bergkamp, Henry, Sanchez: Arsenal’s top 10 transfers of the Premier League era

 

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